その日の朝早く、船は桜が美しく咲き誇る活気のある春島の港に着いた。空は少々どんよりと曇って、低く迫ってくるように雲が浮かんでいるものの、朝市で
もやっているのか人通りも活気もそこそこあり、尚且つ治安が悪そうな気配もあまりなく、クルーたち、とりわけ好奇心旺盛な我らが船長はわくわくと上陸を心
待ちにしていた。
そんな中、本当に珍しいことにゾロから買い出しに行こうというお誘いがあった。どれだけ珍しいかと言えば、ゴム船長が誰かに肉をあげ渡すとか、ナミさん
がお宝を分けるとか(そんなしっかり者のナミさんも素敵だ)、迷子剣士が奇跡的に一人で目的地まで辿り着くとかそういうレベルの珍事だ。おれたちの関係は
いつだって何をするのだって、おれの方から働きかけることが圧倒的に多くて、おれは常々それが物足りないと感じていたからつい有頂天になり、足取りはス
キップせんばかりになり、一歩間違えれば不審者かというくらいだったが、幸いなことに豪快に散る白い花弁と相まって街自体が多少浮かれた雰囲気ではあった
ので、そこまで危ない人には見えなかった、と思う。
「いやあー、こりゃいい季節に来たな」
「ああ、そうだな。花見酒が呑める」
「おまっ、本当そればっかだな。てか最近てめェ、調子悪くて言うほど酒呑めねェだろ。そんなときくらい花を愛でろ。花をっ」
そう言ってから、テンションの上昇とともに口も弛み、うっかりいつもの如く喧嘩を売ってしまったことに気付く。晴れて恋人同士となってからもう長いもの
の、お互い口が絶望的に悪いばかりに、こんな風にして喧嘩の数はまったく減る様子を見せなかった。まあ、お互いに相手と自分自身のそんなところはよく分
かっているから特に気にもしないのだが、今日は折角ゾロが誘ってくれたのだ。一体何をうっかりしてるんだと自分に言いたくなる。が、そんなおれの内心とは
裏腹にゾロは、ははっと笑うばっかりで、今日に限って一向に言い返してくる素振りがない。
そんなゾロを不審に思って横目に、さり気なさを装って様子を観察してみるものの、ゾロは至極呑気に舞い散る桜の花弁を猫みたいに目だけ動かして追うばか
りで、あんなことをいいながらも、本当は桜が好きなのかもしれないなと思うくらいだった。
「なあ、なんかお前、今日機嫌良くねェか?」
「あ?あー、あれだ」
「誕生祝い?してやろうと思って」
「誰の?」
ゾロの口から、下手をすれば自分の誕生日すら忘れるゾロの口から、誕生日なんて言葉がでて、驚き、そう尋ねれば、あっさりとお前の、と返ってきた。その後
に続けて、ナミも明日から買い出しはして、今日はでえとしてこいってさ。なんて可愛いことを真顔で言うもんだから、ついおかしくって笑いそうになる。頬が
弛んで、口角が自然とあがってしまう。それを見てゾロもいつもの至極憎たらしい片頬を上げるやり方でにやっと笑って言う。
「じゃあ今日は、コイビトらしいデートでもするか?ダぁリン」
ゾロはその宣言通りにいつになく恋人らしくおれに接してきた。いつもだったら人前で手なんて繋ごうものなら、おれたちは本当に恋人ですか?と疑いたくな
るようなおもいっきり冷たい一瞥を寄越してくるのに、今日ばかりはそんなことをしてもちょっと顔を背けるだけで、嫌がったりはしなかった。その証拠に3本
のピアスがゆらゆらと歩くリズムで揺れる、形のいい耳のふちはほんのりと赤くなっているのが傍目から見てもはっきりと分かった。
その他にも同じように照れながらもいつもよりも名前を呼んでくれたり、喧嘩早いゾロがどっかの訳の分からない海賊に売られた喧嘩を敢えて買わなかった
り、服を見ててもいつもなら面倒臭がるのに、ネクタイを選んでくれたりと、本当に普通の恋人同士みたいで、勿論いつもみたいな素っ気ないあいつも、あいつ
らしくて大好きなのだが、たまにはこんな風なのも良いなあと思っていた。
そんな風に穏やかな時間を過ごして、丁度昼過ぎ頃だったろうか。街には人もいよいよ多くなり、道が忙しなく込み合って来た頃、おれたちは大きな桜の木に
囲まれたちょっと大きい公園みたいなところのベンチに腰掛けて、市で買った肉まんとあんまんを半分こずつにして食べていたところだった。
おれは隣に座ったゾロがひょいひょいと3口ほどであんまんを口の中に収め頬袋を作るのを見ながら、やっぱりこいつ旨そうにものを食うななんて思っていた
のだが、そのときはらりとゾロの短い髪に乗った桜の花弁につられて背後にある桜の木を見上げた。するとその美しい白の群れの向こうに灰色の空が無粋に広が
り、雲が分厚く重なっているのが分かった。
そのおれの視線に気が付いたのか、ゾロは口の中のものをごくりと飲み込むと、おれと同じように今にも泣き出しそうな空を見上げてぽつりと言った。
「雨、降りそうだな」
「ああ」
「おれ、そこらで傘買ってくるわ」
そう言って、まだ一口も食べていなかった肉まんをおれの方にぐいと押し付けてきた。おれはそのゾロの言葉に呆然とし、その驚きのままそれをうっかり受け
取って、信じられなくて思考が別のところに移る。こりゃ冷めちまったら旨くないかな。いや肉まんは冷めちまったら、旨くないどころじゃねェだろ、もう。た
だのぱさぱさした何かだ。
しかしそんな思考も、ゾロが手をぱんぱんと払って立ち上がったことにより途切れ、我に返ってゾロの頑丈そうな手首を掴んだ。
「て、てめェどうしたんだよ。雨なんて普段気にもしねェだろうが」
そう言えばゾロはぐっと詰まった。そして明らかに困ったように目をあっちへこっちへと動かす。その様は先ほど桜の花弁を目で追っていた様子とひどく似てい
たけれど、先ほどとは違い随分と余裕なく、忙しなく見えた。そして最後に諦めたように刀の柄を弄っていた右手のあたりを見て、悔しそうに小声で言う。
「てめェが、嫌な顔すっからだろ。おかげでおれまで雨、嫌いになった」
おれはその言葉に目を見開いて、食い入るように俯いたゾロの顔を見た。悔しそうに唇を尖らせるゾロの顔がいつも以上に、とても大切なものに思えた。
言ってもどうにもならない、なんてないんだ。
仕方ない、なんてないんだ。
そう思ったら目頭がかっとなって、急いで渡された肉まんを突っ返した。
「お、おれが行ってくるから。てめェは迷うだろうが」
そう言っておれは泣き出したいくらい幸せな気分で足早に歩きだした。
でも、このときおれは浮かれていて、全然気が付いていなかったのだ。こんなに良いことばかりが続くはずがない、と。
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