「…役者はじゃあ揃えておいてやる。その代わり、分かってるよな」
気が付けば、目の前で少年がそう話していた。それは見たこともない少年で、頬に傷があり、真っ黒い髪に真っ黒い瞳で、麦わら帽子を被った彼は無邪気に笑っていた。
「ああ」
そう誰かが返事をする。今度は答えたやつの姿さえ見当たらなかったが、きっと知らないやつだろう。その声にもやはり、まったくと言っていいほど聞き覚えがなかった。
「本当にいいんだな」
真っ黒く、深い、なんだって見透かして、なんだって受け入れてくれそうなその瞳は、話し相手ではなくなぜかおれを覗きこんできて、おれはぎくりとする。
おれは少年のことはまったく知らないはずなのに、この深い色の瞳を確かにどこかで知っている気がしたのだ。
朝目が覚めてカーテンを開けたら雨が降っていて、おれは思わず布団を跳ね除けて飛び起きた。
あれから日はあまりたってはいないが学校は春休みに入って、雨も何度か降った。その雨の回数だけおれはあの金髪男に会って回数を重ねる度に、記憶のない
男となんか話したところで大した話題があるわけでもないのに、自分でも気味が悪くなるくらいにその時間が楽しみになってしまっていた。桜の花も大部分はそ
の雨に散らされて葉が混ざるようになったからか、雨はあの時期ほど憂鬱を誘うものではなくなっていた。むしろあの男と会えるのならズボンの裾が濡れるの
も、スニーカーがぐちゃぐちゃになるのも惜しくないほどで、はっきり言って自分の中が掻き回されるようで少し不本意でもあった。
そんなことを考えつつ、とりあえず枕元に置いてあった携帯電話で時間を確認すれば、いつもよりもかなり早く、この時間から支度をすれば部活に出るまでに
時間を持て余してしまうくらいであったが、今日はさっさと制服に着替えて朝食もそこそこに、天気だけは確認して家を出ることにする。予報では午後から晴れ
るらしく、春先の小降りな雨に傘をさすか一瞬迷ったが、結局はいつものビニール傘を手に取った。
いつもの場所に、やはりあの男はいた。
朝に雨が降るのはあの男と会ってから初めてで、もしかしたら幽霊だしいないかもしれないと思っていたのだが、いつも通り、すこし背中を丸めてポケットに
手を突っ込んで立っていた。まあ、朝っぱらからやはりびしょ濡れで、いつものように暗くない分だけそれが目立ち余計に幽霊じみてはいたのだが。
「よお、クソ幽霊」
「あ?剣道しょーねんじゃねェか。朝っぱらから会うのは珍しいな」
「少年じゃねェよ。てめェと歳そんなに変わんねェじゃねェか」
「うっせーな。じゃあ剣道せーねん」
「なんだそりゃ」
そう受け答えしていると、気だるそうな顔の(泣きながらなのに器用だと毎度思う)唇の端が上がって、人差し指と中指でするりとそこを撫でた。おれとしか会
話することができないらしいこの話好きの男が、ただ会話の相手を見つけて喜んでいるだけなのだとは分かっていても、少し嬉しくなる。
そしていつもの如く会話を始める。
「そう言えば、お前が来る前にここを美しいレディが通ってな」
記憶のないこの男は、それでも日々観察したものやら何やらから上手いこと話を振ってくる。大概は今日のようにくだらないことばかりなのだが、それでもお世
辞にも人とのコミュニケーションが得意とは言えないおれにはうらやましい限りだった。自分がそうなりたいとは思わないが、そういうのもまったくもって悪く
ない。
「てめェはいつもそんなんばっかだな」
「仕方ねェだろ。そうやって《会いたい奴》を探してんだ」
「…ああ」
そう言ったおれは、いつものポーカーフェイスを保てなかったらしく、癖で片眉でも吊り上げてしまったのか、男は不審そうな顔をした。そうだ。こいつは恋人
がどうとか以前に、きっといつかは成仏してしまうのだ。というかそうあるべきなのだ。そう思うと傘を持つ手に無意識に力が入った。
「なんだよ、てめェが言ったんだろ。早く成仏しろって。だから色々と探してんだが、中々見つかんなくてな。何しろ刀なり竹刀なりを持ったレディ自体があんまりいねェ」
「あ、ああ」
おれは今度は表情を動かさないように気を付けながら答える。
「てか、でもそいつ、生きてるとは限らねェじゃねェか」
というか生きていて欲しくない。この男にも、そいつにも悪いが。そう思う自分の思考にうんざりするけれど、本心を言えばそうだ。
そんなおれの内心とは裏腹に、男はきょとんとしたひどく幼い顔をした。どうやらその可能性についてはまったくもって失念していたらしい。が、次の瞬間には
いつものかったるそうな顔つきに戻る。
「あー、でも探すしかねェ訳じゃんおれとしては」
どうやら開き直ったらしい。
「まあ、そりゃな」
「ほら、死んでても生まれ変わったりしてるかもしれねェじゃん」
「乙女かよ、てめェはっ。気持ちワリィ」
「幽霊はいんだぜ、丁度ここに。それなのにてめェ、転生否定できんのかよ」
「うっ…。でも生まれ変わりならてめェが探してる奴とはちが」
「いいんだよ。とりあえず探すだけ探す。んで、見つかんなかったときはそんときだ」
そしてにやりと皮肉っぽく口を曲げる。
「ところで剣道せーねん」
「ああ?」
「お前剣道部だよな」
「ああ」
「レディの部員もいんだろ?」
「まあ…、そりゃあな」
なんとなく、いつもなら絶対に言わないような口を濁した言い方になる。次に言われることは容易に想像がつくができれば回避したいことであった。
「お前ちょっと、それっぽいレディがいたら連れて来てくれよ」
な、頼むよ。そう真剣な顔で言われて、その言い方で、おれはこいつが本当にその人に会いたいんだと不必要なまでに実感してしまった。
なんだよ、それ。
何が悲しくて、自分の好きなやつの恋人探さなきゃなんねェんだ。
何が嬉しくて、自分の好きなやつと会えなくなるようなことしなきゃなんねェんだよ。
そう思って、信じたこともないカミサマとやらを恨んで、目をぐっと瞑った。
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