今から行ってくる。そうきっぱりと宣言して、だけどやはりどこか緊張した面持ちのサンジを、ゾロは強張った、それでもいつものにやりとした笑顔で見送っ た。それをうけてか、薄らと暗くなった夕方の景色の中でも、サンジが皮肉げに笑ったのが見えた。

 ゾロには自分の唇がどうしてゆるく弧を描いているのか良く理解できなかった。だから、サンジが行ってしまってその姿が完璧に見えなくなると、ゆっくりと 自分の頬に手を当ててみた。頬の筋肉がふるふると震えているのがリアルに分かってうんざりする。笑いたくなど欠片もないんだと、その感覚はゾロ自身に切に 訴えかけているのが分かった。したくないことなどやらない。欲しいものはどんなに周りを困らせたって手に入れる。それがゾロの生き方だったはずなのに。そ う思って掌にある刀をぎゅっと握り締めた。慣れた感触のはずなのに、今日はやけにそれが固くて冷たい気がした。

 頭の中にあるのは、たったひとつだけ。なんでサンジは自分に好意を持ってくれないのかという想いだけだった。理性としては、勿論分かってはいるのだ。人 が人を好きになるのに理由はないし、それと同様に人が人を好きにならないのに特に理由はない。嫌いになるのに理由はあるかもしれないが。でも、それでもど うしても納得ができなかった。今までは、そんな奴などいなかったのに。そう思ってしまえば、不条理だとは分かっていてもすんなりと飲みこむことができな い。沈んでいた気分が、ふつふつと怒りに変わっていくのが分かった。

 そうだ、あいつがいけないんだ。それに、別におれは真剣に欲しかったわけではなかったんだ。ちょっと興味があったくらいなんだ。太陽みたいな、ときには 月みたいに光る金髪に一度触ってみたくて、空を移しこんだ瞳をちょっと覗き込んでみたくて。それくらいのちょっとした思いだったのだ。だからまたきっとい つもみたいに手に入れたら飽きてしまうに決まってるんだ。だから。そう思った。だから、おれはもう海に帰ろう。死ぬ気なんてさらさらないのだ。そんな ちょっとばかしの好奇心に命をかけるなんて馬鹿げている。お伽話みたいに泡になれるほど、おれはおめでたい頭も純情さも残念ながら持ち合わせてはいないん だ。

 頭の中にはサンジも太陽みたいな金髪も空みたいな色の瞳ももういなかった。ただ、ロビンが渡した本の中身を、装飾の美しいあのナイフを思い出していた。

 やわな、戦闘用と言うよりは観賞用と言った方が相応しいナイフだ。多分心臓を一突きしたら、刃がこぼれて使い物にはならなくなるのだろう。一度きりしか 使う機会などないのだろうけど。




 きらりとナイフがオレンジ色の淡い照明の光を反射するのを、ナミはぼんやりと見ていた。サンジは料理を嗜むだけあってか、それとも元来の器用さからなの か、ナイフやフォークの使い方は非常に美しい。皿の上に上品に飾り立てられた肉料理は音も立てずに、そして切り裂かれても尚その美しさを保ったまま分解さ れていった。誰かさんとはまるで違って。そんな風に思う。ここにはいないもう一人の友人の影が頭の隅をちらりと過ぎった。サンジも同じことを思ったのだろ う。

「あいつなんかとは一生こんなとこに来れませんね」

なあんて、至極可笑しそうに笑った。サンジの中ではもう既に、自分とナミとそしてゾロと、そんな三人という関係が出来上がっているようだった。

 サンジが何のために、わざわざ高級すぎず、かと言ってフランク過ぎないレストランに招待したのかということくらいは、聡いナミには当然のように分かり 切っていた。普段のサンジの様子も鑑みても、まずその考えに間違いはないはずだ。

 そう思い、フォークで一口大に切った肉料理を口へと運ぶ。ワインで良く煮込まれた牛肉は口の中に淡い後味を残して、ほろりと溶けるように解けるように消え ていく。流石サンジが選んだ店だ。一口食べてみただけでついつい頬が緩むのが分かった。ナミはそんなサンジの素晴らしい舌と、そして料理に対する情熱を純 粋に尊敬していた。

 ふと顔を上げれば、ナミが食べるのを見届けていたのだろうサンジとしっかり目が合った。私が《美味しい》という顔をしたのを見届けたのだろう。いつものふ ざけた仕草の笑みじゃなくて、優しく笑った。そんなサンジを優しい人なんだろうとナミは思う。

 そんなことであるからナミは、この食事が想像した通りの目的の為なのであれば、その話を受けようとは思っていた。サンジに熱烈恋愛していたわけではな い。決してない。だが、一緒にいて楽しい。ほっとはする。尊敬するところもたくさんもっている。嫌いか好きかと問われれば、好きの方に間違いなく入るだろ う。それも限りなく上位の。それに加えてお金持ちだから、というシビアな計算も勿論入ってくる。そんなことを総合してみれば、結婚したいとは思う。

 だが、ナミにはひとつだけ引っかかるところがあった。《彼》である。

 ナミは、まだ半年と少しばかりのそんなに長いとは言えない付き合いの中でさえ、サンジにはほとんど男友達というのがいないことを把握していた。自分程で はないとはいえ、でれでれと鼻の下を伸ばす相手の女の子がたくさんいるのは知っていたけれど、ほとんど同性の友達というのはいなかったはずだった。はっき り言って、サンジは同性のことがどうでもいいという風に見えた。それでもぽつぽつと友人はいるものの、何というかゾロに対するサンジ、というのはちょっと 他の男友達に対する態度とは違った気がしたのだ。二人で話していても、何かとあいつが、あいつがと言う。ちなみにあいつ、と言えば99パーセント彼のこと である。別にナミも彼のことは気に入っていたからそれは構わないのだが、引っかかるは引っかかるのだ。

 その感情は何であるかはナミは知らなかったが、もし自分とサンジがくっついてしまえば、この三人という関係になんらかの影響があることは容易に想像でき た。

 だからナミは、サンジが予定調和のようにその話を切り出してきたとき、思わず聞いてしまったのだ。ナミの結論は決まっているのにも関わらず。「本当にい いの?」と。




 いつから降りだしたのだろうか。ゾロはその夜サンジが濡れて帰って来たのを見て、外が雨だということに気が付いた。耳を澄ましてみれば、確かに窓を打つ 雨の音はきちんと聞こえてきて、小さく首を傾げる。ゾロは人一倍気配にも物音にも敏感であるのに、どうして気が付けなかったのかが分からなかった。という かいつの間に陽が完全に落ちて夜がやって来ていたのかも分からなくて、少しだけおかしいとは思った。

 サンジは予想した通り(ゾロはこの結果を初めからきちんと分かっていた気がする)、つい先ほどとは違った優しそうな、或いは浮かれきった笑顔だった。常な ら女にだけ見せる様な穏やかで綺麗なやつだ。その様子にゾロは、至極冷静に状況を判断することができた。きっとナミは告白を了承したのだろう。何よりも金 が好きな奴だし、サンジのことを気に入っているのも知っていた。そんな風に考えるゾロの心の奥底は凪の海のようで、先程までの動揺が嘘のようだった。自然 なように頬が緩んで、自然なように目元が垂れるのが自分でも分かった。先程までとは打って変わって、自然と笑える。

 そのゾロの様子は傍から見ると少し違和感があるはずだった。ゾロに対するサンジの様に、ゾロは普段皮肉げにしか笑わない。もしくは満面の笑みと言ってい いような笑顔を見せることもあるが、それは大体願い事を聞いて欲しいときに使うとっておきのものであった。そしてそのどちらでもない穏やかで、もしかする と悲しそうとさえ言える笑みはゾロらしいとは決して言えなかった。だがこの日のサンジは、当然と言えば当然なのだが、少々、いやかなり浮かれていたようで 気付かなかったようだった。

「本当にいいの、なあんておっしゃるんだぜ、ナミさん。ナミさんが良いに決まってるじゃねェか。でも謙虚なナミさんも素敵だァ!!」

そうハートマークを飛ばしながら、ひとりくるくると踊るように回る様をゾロはやっぱり微笑んで見ていた。

「てめェも結婚式来てくれるよな!!ジジィに二人で会わなきゃならねェし、ナミさんのお母様に報告にも行かねェとな」

そうだよな。結婚を前提に付き合うとなりゃ報告には行かないとだよな。じゃあきっとその前に決着をつけた方がいいのか。そうゾロがぼんやりとした頭で考え たのを、浮かれきったサンジはきっとちょっとだって気付くことはなかった。




 その日の夜、屋敷の中が静まり返ってから、ゾロは本を片手に屋敷をゆっくりと歩いていた。ひたりひたりとやけに大きく自分の足音が響くようだ。それと同 時にぽつりぽつりと、雨の音がやたらに大きく聞こえる。雨の音、つまりは水の音に、早く帰ってこいと言われているような気がした。

 本当は、今日は行きたくなかった。でも、明日にしよう、明日にしようと思っているといつまで経ってもできない気がしたのだ。と、そこまで考えてゾロは自 分に言い訳をする。あいつとちょっとでも居たいとかそんなのではない。だってサンジはゾロにとってちょっとばかしだけ興味があっただけの相手でしかないの だ。だからそんなことは決してない。そんなはずはない。ただ、そうただ、後味が悪いようなことは当然やりたくないのだ。ただそれだけだ。そう自分に言い聞 かせる。

 サンジの部屋はゾロの部屋の隣で、どんなにゆっくりと歩こうともすぐにそこまで着いてしまった。ゾロは扉にそっと手をかける。古い屋敷ではあるが、それ と同時によく手入れされた屋敷でもある。扉は少しだって軋むことなく、まるで招き入れる様に開いていった。



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