とんとんとんとん。包丁が小気味よく音を鳴らして、広く清潔に整えられた調理場にそれが響いた。

「やっぱりナミさんは素敵だよなァ」

それに対して『ああ、そう』と心の中で呟きながらゾロは包丁を申し訳程度に握っていた。どういう状況かと安直に言えば、これ、手伝いなんかいらないんじゃ ねェのという状況である。例えばゾロが一個ジャガイモの皮を剥く間に、サンジは三つ、下手したら四つ皮を剥き終ってしまっているのだ。ゾロとて野菜の皮む きくらいしたことはあるが、その手腕には程遠く、はっきり言って別にいなくても良い状況だと言えた。しかもこの男、先程からナミの話ばかりなのだ(この家 に来て一月になるが、その間中もずっとそんな話しかしなかったが)。しかも話の内容は要約すると《ナミさん素敵》の一言に尽きる。ここまで来ると、いなく ても良いというかむしろいたくないとも言えた。逃げ出すくらいなら反抗するなり何なりするのがゾロであるが、切実に右手に持つ包丁と、皮が少しへばりつい たジャガイモを放りだしたくなった訳である。

 だが、そんな状況にも関わらず、ゾロは包丁を投げ出すことも、ジャガイモをぶん投げることも何故だかできずにいた。口をへの字に、眉は寄せて、気難しい顔のまま、手元に持つ芋を本当にそうしてやりたい相手の代わりに睨みつけるばかりだ。

「おい、てめェ、手ェ止まってんぞ」

そんなときにふと、自分に話しかける声がした。ゾロは顔を動かさないで横目でちらりとサンジのことを見る。じとりと音がしそうな目で怨念を込めて睨みつけ てやった。今までだったら当然、相手はあたふたと謝ってくるだろう。サンジがそうした反応をしないことはもう、分かり切っていたけど。

「なぁーに睨んでんだよ」

やはりサンジはそんな風に、目を細めてけらけらと笑いながら言ってくる。そんな態度がやっぱり気に食わなくて、無理やりに視線を手元へと戻し皮むきを再開しようとする。が。

「あ、もしかしててめェもナミさんのこと好きなんじゃねェだろうな」

そんなあんまりにも勘違いなことをいうものだから、ゾロは思わずジャガイモを取り落としそうになった。その様子を見てサンジはさらに、そのどうやったら出てくるんだか分からない思い違いを深めてしまったらしく、野菜を切る手を止めてじっとこっちを見やって来た。

「いくらてめェだからってナミさんは絶対に渡さねェからな。あんな麗しくて頭脳明晰でいらっしゃって才能あふれる完璧なレディはお前には勿体ねェ」

一息にそう、お経でも唱えるかの如くに言ってしまうと、サンジはきっと睨みつけてきた。ゾロとしてはその発言のあまりの的を射ていなさにため息のひとつだってつきたいくらいではあったが、そんなことよりも何よりも聞き捨てならない一言があり、顔を思わず上げる。

 『いくらてめェだからって……』って。その箇所だけが頭の中でなんども繰り返される。少し、心持だけど、体温が、ぎゅっと上がった。そんな気がした。

「ん、てめェなんでそんな不思議そうな顔を……?」

とそこで、ゾロが引っかかってるところが理解できたのか、サンジは少し気まずそうに唇を手でなぞった。屋敷では吸っているところを見たことがなかったが、海辺で叩き起こされたときに見た煙草を吸っている動作とそれは、酷く似通っていた。

「や、おれは……何てェか、その。お前のこと割と気に入っては、いるんだ」

まだ名前だって知らねェけど。そう言ってうっすらと頬を赤く染めるから、それが感染したようにゾロまで赤くなった。

 こんな経験はやはり初めてだった。そんな間接的な言葉でなくても、あからさまに好意を示してくる奴というのは、ゾロにはそれこそ腐るほどいた。馬鹿みた いに『愛してる』だの『好き』だのを繰り返し刷り込むみたいに言ってきた。うんざりしていたお伽話以上に頻繁に。そんなときだってゾロはふうんと思うくら いだったのだ。下手をしたら、うざいとさえ思うことだってあった。それなのに今、サンジが示してくれたほんの少しばかりの好意があり得ないくらいに嬉しく て、その感情が血の中を廻って頬に出ていくみたいだった。

 そんなゾロにサンジは、そしてサンジはゾロにどう話しかけたらいいものか分からず、その後の作業は無言(ゾロはいつだって無言なのだが)のままに終わった。それでもゾロはそんなことがまったく気にならなかった。というか気になる余裕すらなかった。





 それから数カ月がたった。サンジは夏休みなるものが終わって学校へと通いだし、ナミは頻繁に遊びに来るものの自分の家へと帰った。そんななかゾロは、暇を持て余して、屋敷の私兵隊と共に訓練するようになっていた。

 この屋敷の私兵隊は、ここら辺一帯の警備も兼ねているらしく、またこの辺りの治安と言うのはあまり宜しくないらしいということもあってか、中々のつわも の揃いであった。刀を使えるというだけでも楽しいのに、ゾロの実力はそこの隊長と同程度ということもあり、ゾロとしては非常に楽しくもあり、充実してい た。

 ロビンの言う通りなのかは未だ分からないが、地上では海の中でのようにゾロのことを異様に過保護にするものはほとんどいなかった。だが、それでもゾロは 普通以上には他人から甘くされている自覚はあった。声を出せないゾロと話しても楽しくもないだろうに、妙に話しかけてくる人間がいたり、男女関係なく差し 入れがあったり、飲み物を渡されたりという現象が何度となくあったからだった。

 だから、その日も訓練終わりにさり気なく飲み物を渡してきたのは、そこら辺にいる誰かだと思っていたのだ。渡されたひんやりとした感触が心地よく、振り返ってみればそこには思いがけずサンジがいて、ゾロは軽く目を瞬かせた。

「お、驚いたみてェだな」

そう目を細めて、最近めっきり無表情であるはずのゾロの表情を読むことが得意になったサンジは口の端を曲げるみたいに笑った。その顔にゾロはどうにもぽ うっとなる。ゾロは近頃、地上で暮らしてくるのに慣れてきてから、サンジがそういう風に笑うのは、狐の嫁入りという名の雨みたいだと思うようになった。唐 突で気まぐれで、でもどこか温かい気がするのだ。

「いやあ、でもお前、まさかとは思ってたけど強いんだな」

取っ組み合いの喧嘩を何度もしておいて良く言うとは思ったが、声に出すすべというのも当然ないので諦める。だが、そんなゾロの心を読んだかのようにサンジは言う。

「ま、おれと互角の勝負できる奴が弱いはずもないんだけどな」

「にしても、刀持ってるお前って随分楽しそうなんだな」

そう言ってサンジはちょいちょいと手招きをした。ゾロが不審そうにちょっと眉を寄せてみると、ちょっと相談があるからと何処かへ行のか、そのやたらに白い、ひらひらと舞う綺麗な手に誘導される。

 何故だか二人黙りこくって歩いた。規則正しく動く蒼いストライプのシャツの背中を追って、太陽の光を受けて余計にきらきら光る、これまた太陽みたいな金 色の頭を存分に観察する。それというのは思った以上に楽しいことだった。だって今はこの背中はゾロの為だけにあると言ったって良いのだから。残念なことに サンジと二人っきりになっても、こんな気分になれることは稀だった。いつもおしゃべりなこの男は、ひたすらに悔しいことにナミや他の女の話ばかりで、ゾロ は歯噛みしたくなるばかりだったからだ。だからゾロにとって今は、嫌でも上機嫌になるしかないような時間だった。でも、もっと欲を言うならこんな風に先導 されるんじゃなくて隣を歩きてェな。そんな風に思ったとき、丁度目的地に着いたようで、サンジが振りかえった。

 サンジはにやりと唇の端をひょいと上げて笑うと、ポケットの中から徐に煙草を取り出して銜えた。この男はなんでだか、外でしか煙草を吸わないということ をゾロは今はもう知っていた。ゆっくりと味わうように煙を吸い吐き出すサンジを見ていて、雲と太陽みたいだ、とゾロはぼんやりと考えた。雲に隠れる太陽。 何だかこんなに上機嫌な筈なのに、嫌な響きだった。

 そんなゾロをよそに、サンジは珍しく真摯な表情でゾロをじっと見た。

「お前はおれの、親友だと思ってるから、言っておきたくて」

どくり、と心臓がなるのが耳元で聞こえた。

「おれ、ナミさんに告白しようと思う」

そう言う声が、どこか遠くで聞こえた気がした。お前ももしかしたらナミさんのこと好きかもしれねェし、言っておかねェとって思って。そうサンジが続けて言うのが聞こえてはいるがいまいち上手く頭の中に意味が入っては来なかった。

 やっと落ち着いてきたときには、頭の中を《結婚》という文字がくるくると回っていた。サンジはここら辺一帯を統べる家の次期当主だ。当然付き合うとなるなら、結婚を前提にということになる。

 結婚。その言葉に自ら呆然とするゾロを余所に、サンジは告白できた解放感からか安心したようで、嬉しそうに言う。

「もし上手く行ったら、お前も結婚式きてくれよな」



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