影想い7+


「……あ」

 刀は確かに少女の体を貫いた。そしてその華奢な身体は真っ赤な血を撒き散らしながらラウンジの壁へと縫い付けられた、様に思えた。しかし、瞬きをした たった一瞬の間に彼女の体も、そこから溢れ出たであろう血も、もう跡形もなくなっていた。ただ、赤い柄をした刀がラウンジの壁に深々と突き刺さって、こち らに毒々しい主張をしてくるだけだった。

「……て、てめェ。ありゃ、くいなちゃん、だろうが」

そう言う声が細かく震えるのが、自分自身ですら分かった。サンジには信じられなかったのだ。例え幻影とはいえ、とてつもなく大切であるはずの幼馴染の少女 を、迷いもなく斬れてしまえるゾロのことが。何故ならつまり、それができるということは、他のどんな人間だって躊躇なく斬れてしまえるということにサンジ には思えたのだ。

 サンジは、やはり、と思った。やはりゾロは自分が想像したみたいな人間らしい奴ではちょっとだってない、と。或いは自分が想像した通りの目的の為なら手 段を一切選ばない冷徹な人間だ、と。だから、サンジは振りむけなかった。振り向いて、その瞳を見てしまったら、軽蔑した視線を送ってしまうかもしれなかっ たから。先程の傷ついたゾロの顔は未だに脳裏に焼き付いていて、そんなことをしてはだめだとサンジに主張する。

 が、しかし。

「……あァ?」

そんな考えは、この場にそぐわない非常に間の抜けた声で覆された。緊迫した雰囲気が一気に弛緩する。サンジの頭には、観葉植物という言葉と手のひらサイズの毬藻がくるくると回転しだして、思わず後ろを振り向いた。

「あァ?っててめェ。さっき刀ぶっ差してただろうが」

振り返って見てみれば、きょとんとしたゾロの顔があった。あ、お前そんな表情もできんのかよ。眉間の皺取れてんぜ、おい。ちょっと、かわい……って違う。今そんな場合じゃねェよ、おれ。何考えてんだ。

 そんな馬鹿になってしまった頭を落ち着かせるために思わず目を閉じて深呼吸してみた。そして、ゆっくり息を吐いて十分に落ち着いてからもう一度、改めて言う。

「てめェが斬ったのは、くいなちゃんだっただろうが」

「は?」

「え、違うのか?」

そこでゾロは考えるように一瞬視線を身体の左側に逸らした。

「……てめェにはくいなが見えたのか」

「あ、あァ多分。長袖のワイシャツに、手袋した女の子、だよな」

ゾロはそれを聞いて不審そうに眉を寄せて、白い刀の柄を撫でた。じっと何かを考えているようで、サンジは逆にそんなゾロの顔をじいっと見つめた。

「……刀は?」

「紺色の柄に、花びらの丸い花みたいな鍔した」

「そりゃくいなっていうよりは、あのパクリ女だな」

「……」

「……」

 サンジはその一瞬で、何か全てが分かった気がした。つまり、あの少女はゾロの弱さなんかではなくて……。

「おれの見た、幻?」

つまり少女が囁いたのは、サンジが恐れていたこと、ということなのだろう。サンジは何より、人殺しのゾロが、目的のためだったら容赦のなく変わってしまう ゾロが、心を失ってしまえるゾロが、怖かった。そういうことなのだと気付いてしまった。そしてそれというのは、そうじゃない普段のゾロが大好きだからこ そ、それを失いたくなくて出てきた恐怖なのだと、分かってしまった。

 瞬間、サンジの頬はかっと熱くなるのが分かった。ポーカーフェイスが自慢のはずなのに。そんなことを思いながらも、耳も目も額も何もかも熱くなって制御 できなかった。多分こちらを見ているゾロにも一目瞭然なはずだと思うと余計に熱くなる。せめて目元だけでも隠したいと前髪が垂れるように俯けば、またもや 間の抜けた声が降って来て思わず顔を上げてしまった。

 そこには、これまた顔を赤くしたゾロがいて、この偶にだけ無駄に聡い剣士が、サンジの表情と行動で全てを悟ってしまっただろうことを知った。

 だから、それならばと告げた。今度はきちんと届くように。

「好きだ」

ゾロはやはり少しだって驚かなかった。その代わり一瞬迷ったように目を揺らしてから、サンジの目をしっかりと見据えて言った。

「……てめェが人斬りのおれを嫌いなことはなんとなく分かってた」

「でも、これだけは言っとく。おれは戦うのは好きだが、人斬るのは好きじゃねェ。それでも刀を手放せねェのは、くいなの為じゃなくて、自分の夢の為だ」

「てめェがくいなの幻を見たのは、そこをあいつのせいにしたいっていうのもあるんだろうから……」

そこでゾロは目を伏せた。だから、そんなおれでもいいんなら。おれもてめェのこと、嫌いじゃねェから。そう消え入るみたいならしくない声で呟いた。




 きっとサンジはこれからも、ゾロのことを嫌いになったり、好きになったりするのだろう。サンジにはゾロが人殺しであることを許容することは多分できないのだから。でも、それを許容できないのはきっと、それがとても大切な人だからなのだ。

 それを知った二人はこれからどうなるのかは、きっと当の二人にすら分からない。













 夜も更けた後方甲板。月明かりも星明かりもない暗闇の中で、一人の少女が手すりに腰掛けていた。海は穏やかに揺れ、平穏そのものだ。勿論、果物のように甘い匂いなどしないし、煙も立っていない。潮の生臭いむっとする香りが漂うだけだ。

 そんな中、彼女は足音を潜めてやって来た誰かに向かって、唇をひん曲げてにこりと笑ってみせた。その笑みは害意でも、悪意でもなく、ましてや好意でもなくて、目一杯の狂喜を含んでいた。

「これで、満足?」

少女はそう言った。彼女は白い半そでのシャツに黒い半ズボンにブーツを身に付け。そして、飾り気のない、でもだからこそ純粋に美しい白い鞘の刀を手に持っていた。

「この海域だからこそできた芸当ね。私と幻覚をごっちゃにして見せるなんて」

そうおかしそうに口元に手を当てて、くすくすと笑う。まあ、ゾロが見たのは昔斬り殺した女の子だったんだっけ。

「あーあ。私のものだったのに」

でも、いいの。いつかは返してもらうから。絶対にね。サンジさんにだって船長さんだって渡す気はないんだ。だって結局、絶対にぞろは私(ゆめ)より大切なものなんてできるはずがないんだから。ねえ、そうでしょ?

 そう笑って彼女は消えていった。




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