ロロノア・ゾロという男はつくづく変わった男だ。いや、変わった気分に人をさせる男だ。そうサンジは紅茶の入ったカップを手に、この寒空の下、さらには
マスト付近では年少組がぎゃいぎゃいと騒ぎながらクッキーを取り合っているにも関わらず、太平楽に寝こける男の少し赤くなった頬と鼻の頭を見て思った。
本日の季節は追われるように出てきた島が冬島だった為か、冬ときどき初夏とグランドラインならではの訳の分からないめちゃくちゃな気候であった。そんな
中ゾロは、雪が降っていないにしたって、そのめちゃくちゃな気候をものともせず、いつもの薄手の半袖のシャツ一枚で安らか過ぎるほど安らかにぐーすか眠っ
ている。毬藻は寒いとこが生育地らしいし、寒さには強いのかもしれないと半ば勝手に納得する。そしてさてどうやって起こそうかとゾロの前にかがみこんだと
ころで、ゾロの穏やかな寝顔を見てサンジは如何ともしがたい微妙な気分に陥っていた。
そう。実はこういったことは本当によくあることなのだが、ゾロを見ているとサンジはしょっちゅう、訳の分からない気分に陥るのだ。
例えば、だ。今ならば、サンジはこの寒空の下で呑気に眠る男に毛布をかけてやりたいと思う。でも、それと同時に、そんなことにならないのはよくよく知っ
てはいるのだが、このまま寝こけて風邪でもひいちまえばいいんだと思ったりもする。あるときはまるで発作みたいに、ゾロのことを好きなのかもしれないなあ
んて、サンジ自身で自分の頭の中身を心配したくなるようなことを思ったりもするのに、あるときは喧嘩もしていないのに本気で地獄へ落ちろと思ったりもす
る。大剣豪なんて十にも満たないガキが想うような、子どもじみた夢に向かって一直線な所に不本意にも憧れるときもあれば、そんなものになったってどうする
んだと思うときもある。
例えば、だ。あるときは返り血に塗れたゾロを見て、こいつは人を殺すことに一切の躊躇もないのではないかと嫌悪感を覚えるときもあれば、別のときは血に染
まったゾロを見て無意識に「好きだ」なんて口走ってしまったこともあった。
そういや口走っちまったんだよなあ、…あれ。ゾロは聞いていたのかいなかったのか、あれからも別に変わらないが。とにかく言っちまったんだよなあ、あれ。
何かよく分かんねェが思わず、「好きだ」って。
と、そこまで思ってサンジは自分の思考に一人頬をかあっと染めた。うわあ、これってもしや、いや違うと思うけど、もしかして、いやそんなことないと思う
が、まさか、《恋の病》って奴か。いや、いやいやいや、違うだろ。おれ、こいつのこと好きなのか嫌いなのかも分かんねェし。大体恋ってやつは、特に片想い
なんかはもっと、何て言うか甘酸っぱいっていうか、少なくともこんな苦いばっかの気持ちじゃねェだろ。うん。でも、もしそうだとしたら痛い。痛すぎる。何
が痛いってまず相手がゾロだってことだ。男だということは百歩譲っていいにしたって、この毬藻頭だってことだ。絶対あれ、妹がいたら彼氏に勧めたくないタ
イプだよ。
サンジ自身もそんなタイプに分類されるだろうなんてことは露ほども思わないで、そんな失礼なことを半ば本気で思って、サンジはその考えを追い出すように首
をぶんぶんと振った。恋なんかではない。断じてない。そう心の中で呟いて一度深呼吸をする。そして一応心を落ち着けると、いつも通りの気だるい顔を作って
立ち上がり、カップをもっていない方の手をポケットに突っ込む。そうすればまるで今まさにここに来たばかりですという様子が完成する。
「おい、クソ剣士。起きろっ。食いっぱぐれるぞ」
今まで脳内で繰り広げられていた嵐のような思考などまるで一切なかったかのようにそう言いながらゾロの寄りかかっている手摺りに軽く蹴りを入れれば、ゾロ
はゆっくりと目を開いて、寝起きの不機嫌そうな顔でサンジとサンジの持っているカップを見比べた。ん、と唸って手を差し出すので、内心何の心情からくるも
のなのかサンジは緊張したが、それをおくびにも出さずにカップを手渡せす。ゾロとて流石に気温の変化を感じない訳ではないようで、彼が指先を温めるために
両手で包み込むようにカップを持ったのに、サンジは何故だか和やかな気分になった。
「マストんとこにクッキーもあるぜ」
「そうか」
ゾロはそう言ったものの動く様子は全く見せず、紅茶の入ったカップを口元へと運んで、そしてふっと眉を寄せた。くんと控え目に、でも確かに不審そうに匂い
を嗅ぐ。その様子にサンジはただならぬものを感じて、少々不機嫌になった。どこか怪しい飯屋で食事をするとき、半植物のくせに獣なこの剣士は、そんな風に
警戒しながら匂いを嗅ぐからだ。
「んだよ?」
「…いや」
そう言ってゾロは首を傾げた。明らかに何か気になっていることがありそうな様子に、サンジはスーツのポケットから煙草を取り出すとそれを口にくわえた。目
で、言えよと促せば、ゾロは渋々と言った様子で口を開く。
「茶っ葉、変えたか?」
「いや」
「…いつもと違う匂いがしねェか?なんか甘い」
「ちょっとかせよ」
そう言ってサンジは紅茶の匂いを嗅いでみるが、特に変わった匂いがするようにも思えなくて、不機嫌にますます磨きがかかり、眉間に皺がよる。当然だ。そう
いう訳ではないと分かってはいるが、疑われているように感じて嬉しいものなどいないだろう。ゾロもそう思ったのか、悪ィと決まり悪そうに言うと、カップに
口をつけた。
そしてことが起こったのは、それから一時間後くらい、日差しはいつの間にか強くなり、夏の気候へと変わったのか気温が温かくなってきた頃だった。
サンジが夕食の仕込みをしていると急に、年少組三人で釣りをしているはずの船長の「うほぉー」というすっとんきょうな大声が聞こえてきたのだ。
でかい魚でも釣れたのかなと、休憩がてらラウンジから顔をのぞかせてみれば、ルフィの楽しそうなきらきらした目と、目があった。
「サンジぃー、見てみろよ。すっげぇぞ」
そしてルフィの横で釣糸を垂らしていることもすっかり忘れた様子の、ぽかんとした表情で海面を凝視しているウソップとチョッパーの視線を追ってみれば、そ
こには見たこともない光景があった。サンジの頭の中、記憶の中のルフィが「不思議海だな」なあんて非常に気の抜けるセリフを呟く。
視線の先では、海が沸騰する直前のように控えめにぷくぷくと泡だっているのだ。湯気のように、熱くはないが白い、微かに甘い匂いのする気体ももうもうと立
ち上っている。
そしてそのすぐ後だった。後方甲板にあの少女が現れたのは。
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