サンジが再び後方甲板へと無意識に向かったのはゾロに異変を伝える為にでもあったし、ゾロが起きているか確かめる為でもあった。ゾロが自然発生の偶発的な 危険に対してまでも鋭いのかどうかはサンジはよく分からなかったのだが、起きていたら《不思議海》は野生の獣的危機察知センサーに引っ掛かったことにな り、危険度大であろうと考えたのだ。

  しかし、実際にはゾロは呑気に眠っていて、そしてサンジの感じた危険度は大だった。背中にはすうっと何か冷たいものが走った。

  ゾロのすぐ隣には、この船に乗っているはずもない、そしてもしかしたらこの世にいるはずもないかもしれない少女が立っていたのだから。



  それからしばらく、少女が微かに動いていたとはいえ、サンジにとってはときが止まったかのようであった。しかし少女はそんなことなどまるでお構い無しに、 金縛りにでもあったように動けなくなっていたサンジの方へと唐突に振り向いた。切り揃えられたさらりとした黒髪が風に舞った。

  着ているものは白いシャツに細身の黒いズボンという素っ気ない格好ではあるのだが、黒く大きな瞳は凛として強く、これは数年後には美人になるかもしれない と緊急事態に止まりかけた頭で、現実逃避じみたことを考える。

  その可愛らしい顔から少しだけ視線を横へとずらせば、少女には少しばかり大き過ぎるのか、肩から背負った刀の柄が見えた。ゾロの持っている飾り気のない白 い刀とは違って、濃い紺色の柄に花の形をあしらったような鍔の、実用性を損わない程度に装飾された、これもまた美しい刀だ。手には滑り止めなのか手袋をし ていて(そういえば何かの話で聞いたのだが、死神は手袋を着けているんだっけとサンジは思いだした)小さいながらもれっきとした剣士であるように思える。

  剣士。幼なじみの女剣士。サンジはそんなフレーズを思い出した。



  あれはグランドラインに入ってしばらく経ってからのことだった。ゾロが足にど派手な大怪我をおっていたので、リトルガーデンを出てすぐ後のことだったかも しれない。たまたまサンジは夜中のラウンジでゾロと酒を飲んでいた。

  普段ゾロとは仲が悪いと思われがちだし、実際にそんな仲がいい訳ではないのだが、それまでもそれからもそんな風に二人で酒を飲むことはよくあった。最初の うちこそゾロに敵対意識と興味のあったサンジからもっぱら誘っていたのだが、そのうちゾロの方から誘ってくることも多くなった。

  そんな時間の中でぽつりとサンジが思い出したように言ったのが、その話をきくことになったきっかけだった。

「そういやお前、あの子結局どうしたんだよ。まさか斬ったんじゃねェだろうな」

「あの子?」

ゾロは眉を吊り上げて不審そうに応えた。その顔は恐ろしいくらいに普段通りで酒が入っているようには到底思えない顔だった。サンジは自分の顔が酒で少しば かり赤くなっているだろうことを自覚していたので、何となく悔しい気分になる。

「あの子だよ。ローグタウンであった」

そんな風に言うも、ゾロの顔はますます訝しげになるだけであった。サンジの言う《あの子》が分からないのか、それともあんなにも有名な地名の方が分からな いのか。どっちにしろてめェはゴーイングマイウェイな毬藻頭だっ。興味のねェことは頭にちっとだって入んねェのかよ。絶対こいつ《バラティエ》って言って も首傾げるに違いねェよ。そんな風に思いながらも、たった半日足らずいただけの街の名前を覚えていないというまだ常識的な方に賭け、助け船を出した。

「処刑台のあったとこだよ」

「ああ…。あのパクリ女か」

そう意外にもすぐに思い出してゾロが至極嫌そうに言う。それだけ表情にあからさまに出すゾロは珍しい気がして、そこに何かちくりとしたものを感じて、サン ジが詳しく聞き出してみれば、これまた珍しいことにゾロは噛み付くように、でも饒舌に語った。ゾロの幼なじみで親友の剣士ちゃんのこと。二人の約束のこ と。そして形見だという白い鞘の刀のこと。よっぽどそのパクリ女(レディに向かって失礼だとサンジは噛み付いたのだが)とやらが気に食わなかったのだろ う。もしくは顔に出ていないだけで意外と酒が回っていたのかもしれない。



  そしてまさにその話の中のゾロの幼なじみを想わせる少女が目の前にいるのだ。刀は形見であるということだから当然死んでいるのだと思うと、ますますサンジは動けなくなった。クソ剣士っ、てめェ何か憑いてんのか、そうなのかっ。いや、でも そうだとしたら白い刀持ってるはずなのか?いや、あれはゾロがもらったんだもんな。そんな風に冷や汗をたらりと垂らしながら考えていると、少女が一歩こち らへと踏み出した。そしてもう一歩、更に一歩と、足取り軽く歩きだし、サンジの横を何も特別なことなどないように、サンジが一歩どころか指一本も動かすこ とができないのに、至極普通に通り過ぎ階段を降りていった。

  サンジの耳には、少女が通り過ぎるときにこちらを見もせずに言った言葉と、くすりという小さな笑い声が残った。

「あなたがサンジ、さん」



  がたんっ。

  サンジはしばらくそのまま動くことができなかったのだが、今度はラウンジの方で何か派手な音がして、はっと正気に戻った。

「おいっ、どうした」

大したことではないかもしれない。誰かが少し転んだとか、そんなことかもしれないとは分かってはいたのだが、つい声は大きくなり、いつの間にか足は物音の 方へと急いでいた。

  階段がもどかしく飛び降りてみれば、半開きになったラウンジの扉の前でへたりこんでいるロビンがいた。

「ロビンちゃんっ」

そう駆け寄ってじっと動かないロビンの視線を辿って見れば、そこには血塗れのラウンジと、人が何人も倒れているのか、見覚えのある人の腕らしきものや、脚 らしきものが見えた。そして、その中に交じる赤いベストのようなものを発見してしまい、息が苦しくなる。

「っ…」

一度そちらから目を反らしてロビンの顔をよく見れば、サンジの方を向いた顔は青ざめ、瞳孔は開ききって明らかに動揺しているようだった。しかし、取り敢え ず中の状況を確認しなければ。そう思い一度目をつぶってから中を覗いてみれば、そこには何事もなかったようないつも通りのラウンジがあるだけだった。


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