サンジはぱちぱちと瞬きをした。先程の少女は何度そうしたところで消えてなどくれなかったくせに、今度は何度したところでラウンジは正に普段通りのそれで
しかなくって、消えたら消えたでまた不気味だった(消えていなかったらいなかったでサンジにとっては発狂ものだっただろうけど)。笑い話にも、怖い話のネ
タにも、とてもじゃないがなってくれそうにはない。
疲れてるんだ。ついさっきもそう思ったし、そうに決まってる。緊張からか冷たくなった指先をすりながら、無駄な努力とは知りながらもそんな風にサンジは思
いこもうとする。しかし先程見た光景は記憶から簡単には抹消されてくれそうになかった。血だまりも、それに浮かぶ赤いベストも、ブレスレットをした腕も、
青と白のリストバンドも、折れた角も、ましてや黒いブーツをはいた脚も、性質も出来も悪いホラー映画のワンシーンのように目の奥に貼りついて離れそうには
ない。
「…影、想い?」
そして、そう少しだけ落ち着きを取り戻したロビンがそう呟いたときだった。
「おい、大丈夫か?」
「どーした、ロビン?」
ゾロとルフィが特に緊張した風でもなく、いつも通りの、一般人がこぞって逃げ出すような賞金のかかった海賊とは思えない呑気な雰囲気でやって来たのだ。どうやら大声を出したから不審に思ってやって来たようだった。
サンジはそんな二人の様子を見て、いきなり現実世界に引き上げられたように身体の温度が戻り、気が抜けるのを自覚した。全くもって不本意なのだが、この二
人の能天気な顔を見ると落ち着いてしまうのだ。何故か。おれを安心させられるのは可愛い女の子だけでいいはずなのにっ、と訳の分からない敗北感にうちひし
がれるもこればかりは仕方なかった。うんしょうがない。相手は器のでかさが売りの癒し系天然船長と観葉植物だ。
「いや、大丈夫だ。ちょっとばかりでかい鼠がでてな。な、ロビンちゃん」
「え、ええ」
「本当か、ロビン?」
ルフィが不思議そうな顔でそう問うが、二人の癒し系のせいか大分落ち着いてきたロビンが少し固いながらも笑顔を見せれば、にかりと笑って魚釣りへと戻って
いった。煙はまだうっすらと立ち込めているのだが、面白いくらいに釣れるらしい。ゾロの方も興味を失ったのかでっかい欠伸をしながらまた後方甲板へと戻っ
ていった。どうせまたもう一眠りとばかりに寝こけるのだろう。その、のそのそと歩く、まさに平穏とばかりのはずの後ろ姿を見て、どうにもサンジは嫌な感じ
がした。
《影想いの海》、《人の弱いトコロを形にする》。ロビンが先程呟いた言葉で思い出したのだ。話を聞いたときには、学校の七不思議みたいな、もしくはそう、
空島みたいな、都市伝説に近いものを想像していて、サンジは大して気にも留めていなかったのだ。滅多なことではそういう類のものは実在しないものだし、実
在したって遭遇する可能性はえてして低いものだ。空島には行ったけれども。
でもこの現象がまさにそうだとしたなら、あの少女は何だったのだろうか。さっきのラウンジはロビンの不安と言って多分いいのだろう。だったらあの少女はゾ
ロの《弱さ》とでも言うのだろうか。あんな人殺しも厭わなそうな男に弱さなどあるということなのか。いや、あるはずねェよそんなもん。冷静なサンジはそう
思う。でも一方で違うことを考える彼自身もいるのだ。いや、でももしかしたら、あいつ自体は例えばヒトゴロシは嫌なのかもしんねェ。幼なじみとの約束とも
言ってたし、もしかしたら…。
そう考えながらもサンジはロビンが立ち上がるのに手を貸した。いつもならば美しい手だっ、ロビンちゃんの手を握れて幸せだっと、めろりんするところであったのだが、生憎今のサンジにはそんな余裕はなかった。
「《影想いの海》って昼間ロビンちゃんが言ってたじゃないですか」
その夜、見張りのナミに夜食を出しながら、サンジはそう問うた。ナミはその言葉に可愛いらしい顔の眉間に皺を寄せた。
「何かあったの?」
「ちょっと、ね。何か…、見えるんですよね」
そう冗談めかして言うもナミは冷たい視線でそれに応えるので、サンジも真面目に応える。
「ロビンちゃんとも話したんですけど、多分、幻覚の一種です」
前の島の人も害はないとは言っていたみたいなんで多分大丈夫だとは思うんですけど、ナミさん、何か見てませんか?
「何も見てないけど」
「そうですか」
そうサンジは唇を撫でながら言う。そして、別に何でもないことのように話を変えた。
「そういえば、クソ剣士の幼なじみの話なんですけど…」
他人に自分の幻覚の話をされるのは嫌だろうとは思ったのだが(何せ自分の《弱さ》が形になるのだ。嫌に決まってる)、聞かずにはいられなかったのだ。大
体、あれだけ簡単に仲の良いとは言えないサンジに幼なじみのことを話すくらいだから、当然ナミもそれくらいは知っているものだとサンジは思いこんでいたの
だ。
「あら、あいつに幼なじみなんていたの」
しかし予想に反して、ナミは全く知らなかったので、サンジは笑ってそれを誤魔化した。ちょっとの良く分からない優越感を感じながら。
ぎいっ。
ナミを見張りへと送り出してからしばらくしてからだった。ラウンジの扉が開いた。最初はナミかと思ったのだが足音は彼女のサンダルとは思えない柔らかい音で、嫌な予感がした。こんな軽い足音の奴、どう考えてもいなかったよな。
また、なのか?
「こんばんは、サンジさん」
幻覚。幻覚だし。怖がることなんかねェし。そう心の中で必死に唱えたところで、当然ながら恐怖心はまったく去らなかった。何が害はねェだ島人Aっ、無茶苦茶害あるよこれっ。心臓に悪ィよっ。
そんなことを考えている間にも後ろにいるはずの少女は椅子に腰を掛けたことが分かった。くすりと、普段なら可愛いと思うような、でもどうしようもなく高く耳障りな笑い声がした。
「サンジさん、ゾロが好きなんでしょ」
くすっ、くすくす。
「でも」
「ゾロは渡さない。あなたにも、船長さんにも、ね」
「だってゾロは、夢(わたし)が一番なんだから」
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